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      <title>◆葡萄牙◆</title>
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      <description>ポルトガルって読むんだよ</description>
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      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>体操の歴史　2</title>
         <description>《1870年の不幸な戦争は・・・


救国団体と呼ばれうるような数多くの射撃・体操協会の設立を決定づけた、きわめてささやかな理由の一つではなかった・・・。


わたしたちは、射撃と体操とを通して、子供たちに対し、彼らが21歳になった時に待ち受ける兵役の基礎をつくってやるべきではないのだろうか。


射撃協会と体操協会は、すでに基礎教育を受けた将来の若い兵士を輩出する養成機関ではないのだろうか》。


・・・こうして射撃もまた、無視しえぬ実践スポーツとなっていきました。


上流階級に属する者や軍人たちは、とりわけ拳銃による射撃訓練を行なりました。


もっとも、それはただ決闘に備えてのことだったようです。


16世紀のように、何でも闘いで決着をつけるというようなことはなくなっていましたが・・・


決闘は19世紀でもなお慣行としてみられました。


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         <pubDate>Wed, 11 Apr 2012 14:35:19 +0900</pubDate>
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         <title>体操の歴史</title>
         <description>体操は、秩序なり規律なりを前提としましたが、いずれそれはイギリス体操によって混乱させられることになります。


・・・事実、19世紀末には、ドイツ式体操とイギリス式体操というこれら2通りのスポーツ活動の間に、ぬきさしならない対立が生じています。


この対立はしばらく続き、のちにオリンピックの主要参加国があげたさまざまな成績の分析を通して一挙に表面化します。


ただ、体操はとくにドイツに接する地域で隆盛をみています。


1882年には、89の協会のうち約半数の48団体がフランス東部にあり、パリ周辺は25団体、北部濾10団体、中部は9団体、南部は僅か一団体にすぎなかったのです。


体操と並んで、射撃スポーツも発展し、1886年には「フランス射撃協会連盟」が設立されています。


目的ははっきりしていました。

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         <pubDate>Sat, 10 Mar 2012 14:34:31 +0900</pubDate>
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         <title>春になぜ塵気楼が見える？</title>
         <description>日本で蟹気楼といえば、富山湾の魚津のものが有名ですが、これがよく現われるのは4月、5月のころです。


蟹気楼というのは、密度のちがう空気の層の境目が、たまたま曲面になった時に起こる、光の異常屈折現象だと説明されています。


春になって、山の雪が溶けて湾に流れこむと海水温が下がり、海面に近い空気の温度も下がって密度が高まります。


一方、その上を吹く風はかなり温度が高く低密度です。


こうして、2つの空気の層の境目が複雑なレンズの働きをして、遠い対岸の景色などが、実際にそこにあるかのように空中に浮かび上がるわけです。


沙漠の蚕気楼も上下の空気の温度が逆なだけで、原理はまったく同じです。

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         <pubDate>Thu, 16 Feb 2012 17:51:50 +0900</pubDate>
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         <title>ヒョウはなぜ春から夏に降る？</title>
         <description>寒い冬に雪やミゾレが降るのは当然ですが・・・


あの氷の塊であるヒョウが、なぜ寒い冬に降らずに、春から夏にかけて降るのでしょう。


それは、ヒョウが雷雨や発達した前線に原因しているからです。


日本では、4月には低気圧にともなう前線が発達しやすく、また5月には、雷雨がよく発生するので、そのためヒョウがよく降るわけです。


ヒョウは、中心に細かい氷の結晶があり、それに水滴がついて氷の塊になり、さらにその上に雪がついて大きくなり、また水滴がつくといった具合に、次第に大きな氷の塊になったもの。


大正6年6月には、直径25.8センチもあるヒョウが降ったことがあり、重さでは1840グラムの記録もあります。

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         <pubDate>Fri, 20 Jan 2012 17:51:19 +0900</pubDate>
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         <title>暖かい日にボタ雪が降るのはなぜ？</title>
         <description>水蒸気をたっぷり含んだ空気が上昇すると、余分な水蒸気が吐き出されて、零度より暖かいと雨、寒いと雪になります。


地上の暖かい空気は軽いので上空へ昇りますが・・・


上へ行くほど気圧が低いので膨張し、冷凍機の原理と同じ理屈で冷えます。


普通、空気は100メートル昇るごとに1度冷え、飽和していた水蒸気が吐き出されて、目に見えないゴミを芯にして結晶を始め、氷晶という雪の素になります。


氷晶にさらに水分がくっついて雪の結晶に発達するわけですが、温度や成長速度で形が変わってきます。


寒い日には、雪が小さな結晶のまま粉雪となって降り、暖かいと少し溶けて、次々とたくさんの結晶がくっつくのでボタ雪になるのです。

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         <pubDate>Tue, 13 Dec 2011 17:50:51 +0900</pubDate>
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         <title>月が傘をさすとなぜ雨が降る？</title>
         <description>月が傘をさすと雨が降ると言い伝えられています。


・・・そして事実、雨の降ることが多いようですが、なぜでしょう。


月が傘をさすのは、巻層雲がある時です。


巻層雲というのは、地上から約8キロ以上も高い所にできる雲で、細かい無数の氷の結晶の集まりです。


その氷の結晶は短い6角柱の形をしていて、それが月の光を屈折させて小さな虹の量をつくり、光が弱いため、傘のように円く白く見えるのです。


この巻層雲は、昼間見ると空一面の薄雲で、それが次第に下のほうへおりてくると高層雲になり、太陽がぼんやりとしか見えない曇天になります。


ですから、月が傘をさせば雨が降る確率はかなり大きいわけです。


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         <pubDate>Sat, 12 Nov 2011 17:49:54 +0900</pubDate>
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         <title>横に組織する　4</title>
         <description>「横どうし教え合うようにする」などということを数年前に発想したころは、間違いないと思う一方で、なんとなく不安でした。


それから1、2年が過ぎたころ、NHK教育テレビで「教える」という、3日間にわたって3人の人が1人ずつ体験談を話すシリーズがありました。


・・・そのうちの2人の話を、ごく簡単に紹介したいのです。


第1日は、ある高校のラグビー部監督でした。


監督は、全日本ラグビー選手から同校監督に就任したのでしたが、行ってみると、20人にも満たない部員がそれまでにただの一度も揃って練習したことがないという状態でした。


最初の対外試合は22対0で負けたのですが、このとき監督は、一生のドラマを味わったと言います。


ラグビーの監督は、笛が鳴ったら観衆の一人と同じで、何ら手の施しようもありません。


怒りから悲しみへ、涙から脱力感、その場にいたたまれず、逃げ出したい気持ちに堪えてそれを乗り越えたとき、こんなことでたまるか、「何とかせねば」と強い決心をしたといいます。


・・・そして6年後には、全国高校ラグビーで優勝するという快挙を成し遂げることになります。


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         <pubDate>Wed, 05 Oct 2011 11:27:38 +0900</pubDate>
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         <title>医学と占い</title>
         <description><![CDATA[
もし占星術が心の問題を扱うには見込み薄であることを示すのであれば、身体的疾病の分野における見込みはどうでしょうか。


いくつかの可能性と難点が血友病に興味をもったエマーソンたち(1975)の研究ではっきりと示されています。


彼らは、コンピュータを用いて、血友病者の七十五症例とほぼ同数の非血友病者とを、約五百の占星術要因によって比較した。


彼らは、これらの集団に対して、血友病者と他の人びととをもっともよく識別すると思われる要因をピックアップし、さらに別の23名の血友病者群と25名の非血友病者群に対してそれらの要因を検証した。


第一の標本から派生された指標を第二の標本に適用したところが、有意に両群が識別されました。


23名の血友病者のうち18名が正しく診断されました。


ただし、12名の非血友病者が血友病者とまちがって診断されました。


この研究にかかわった人数があまりにも少なくて、結果に大きな信頼をおくことができないので、もっと多くの標木数でさらに追試して、この研究結果の妥当性を確証する必要があるでしょう。


しかしながら、その方法論は正しく、われわれの説明で省かれた多くの研究が同じようなやり方を用いて、実験を計画し資料を処理したならば、もっと得るところがあったであろうと言わざるをえません。



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         <pubDate>Mon, 19 Sep 2011 11:24:42 +0900</pubDate>
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         <title>横に組織する　3</title>
         <description>横から&quot;教え&quot;られたことには、権威がないから、疑いがつきまとうものです。


それが素晴らしいのです。


その疑問を、自ずと自分で解こうとするからです。


その結果、借りものではなく、自分のものとしてわかることになっていきます。


さらに、指摘したほうにとって、また素晴らしいのです。


相手どころか、それによって、自分自身がよくわかってしまうからです。


私の経験では、教えたいことの半分はこれによって教えることができます。


残りの半分は、主体的なニーズが人びとにできているので、たとえ直接教えても、期待していない効果の心配は少ないのです。


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         <pubDate>Sun, 11 Sep 2011 11:27:12 +0900</pubDate>
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         <title>横に組織する　2</title>
         <description>答を与えることになり、場合によっては鵜飲みにされて、「わかった」になってしまうからであり、人間力発揮の機会を奪ってしまうからです。


そこで考えられたのが、「横から教える」ということです。


正確に言うと、「横どうし教え合うようにする」ということです。


教えるといっても、この場合は外見上、教えるという形式をとるわけではありません。


ですから、人びとはお互いに、教わったとは思わないのです。


ここが重要なところです。


このやりかたのポイントのみを記せば、誰でもお互いに、何事につけても、自分ではよくわからない、よくできないのに、他がやったことを評価し、指摘することはできるという点にあります。


つまり、お互いを&quot;先生&quot;にしてしまうということです。


先生的立場に立つと、&quot;生徒&quot;のときとは頭の働きががらりと変わることを活用するわけです。


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         <pubDate>Sat, 20 Aug 2011 11:26:48 +0900</pubDate>
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         <title>横に組織する</title>
         <description>いつもながら私は、集団というものの良識にはほとほと感心しています。


リーダーの熱い思いと事実をペースとするぶつかり合いのくり返しは、必ずと言っていいほど、健全かつ挑戦的な結果を導くものです。


リードのしかたによって左右しますが、私の経験では、それは、リーダーの期待以下の場合よりも、以上の場合のほうが多いですね。


さて、どんなに素晴らしく課題化がなされようと、状況化が適切であろうと、教えることは重要です。


それは、仕事の中でも、人生の中でも不可欠なことです。


ところが、この教えることが、人びとに両刃の剣としての作用をもたらしていくことになります。


この矛盾を解決する鍵は、いかにして教えるかという、その方法にあります。


リーダーが直接教えてしまったのでは、期待した効果は小さく、期待していない効果が大きく残ります。

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         <pubDate>Tue, 05 Jul 2011 11:25:49 +0900</pubDate>
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         <title>社会福祉について考える　4</title>
         <description>平成元年3月30日、厚生省福祉関係三審議会合同企画分科会の意見具申「今後の社会福祉のあり方について」は、社会福祉の新たな展開を図るための基本的な考え方として・・・


「国民の福祉需要に的確に応え、人生80年時代にふさわしい長寿・福祉社会を実現するためには、福祉サービスの一層の質的量的拡充を図るとともに、ノーマライゼーションの理念の浸透、福祉サービスの一般化・普遍化、施策の総合化・体系化の促進、サービス利用者の選択の幅の拡大等の観点に留意しつつ」・・・


・・・新たな社会福祉の展開を図っていく際の基本的考え方の一つとして社会福祉の運営、実施について「市町村の役割重視」を提言しました。


それは具体的には次のことを内容としています。


「福祉行政の実施に当たっては、『住民に身近な行政は、可能な限り、住民に身近な地方公共団体が実施する』という基本的な考え方にたって整理を行い、生活保護行政等当該事務実施に当たっての専門性、広域性、効率性等について十分配慮する必要があるものを除き、


最も住民に密着した基礎的な地方公共団体であり、住民の福祉需要を最も把握し得る市町村においてできるだけこれを実施することとする必要がある。


このため、当面、老人福祉施設、身体障害者更生援護施設への入所措置の実務については、措置決定とこれに先立つ判定事務との円滑な連携を確保しながら、市町村で実施する方向で検討するべきである。」

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         <pubDate>Sat, 18 Jun 2011 16:37:10 +0900</pubDate>
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         <title>社会福祉について考える　3</title>
         <description>介護福祉士は「名称独占」であること、労働省の技能検定合格者はそのまま「介護福祉士」として登録させる道を設けることで、この調整問題は落着することになりました。


もう一つの問題は、福祉事務所等で働いている社会福祉司との関係です。


新「士」法は民間の活動領域を想定しているので、直接自治体の福祉関係職員の資格や処遇には関係しません。


身障、精薄、児童、老人等にかかわる福祉担当職員も、実務経験5年で、新しい資格に挑戦することができる道が開けることになっています。


かりに自治体職員が「士」の資格をとっても、これはあくまでも「名称独占」にすぎないので職員としての処遇に影響はないとされています。


しかし、将来、福祉行政の職場に有資格者とそうではない者とが並存するとき、人事管理上にまったく影響なしとはしないでしょう。


合同企画分科会での推計では、1988年以降、毎年、社会福祉士1000人、介護福祉士1400人程度の登録者が見込まれるとされています。


このための国家試験と新たに生まれる「士」が新たな業界を形成することになり、それだけ厚生省行政の守備範囲の拡大が起こるでしょう。


・・・ともあれ、わが国でもやっと、社会福祉分野における専門職業集団の形成期を迎えたことになります。
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         <pubDate>Sat, 28 May 2011 16:36:11 +0900</pubDate>
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         <title>社会福祉について考える　2</title>
         <description>客観的情勢としても、倫理性を身につけ専門的な知識・技術をもった人びとを育て確保していかなければならなくなっています。


英語でいえば社会福祉士はソーシャル・ワーカーであり、介護福祉士はケア・ワーカーですが、これは業務独占でなく名称独占であるため、資格をとったからといって、それが直ちに給与のアップにつながるわけではないでしょう。


しかし、おそらく、今後長い間には、名称独占ではじまったこの「士」法は実質的に社会福祉の分野における専門職制度の形成を促していくでしょう。


この「士」法は、民間における福祉サービスを念頭におき、その従事者の条件整備をねらいにしていますが、おそらく、自治行政にも波及効果を及ぼしていくでしょう。


この新法の制定をめぐって、一番大きな調整問題となったのは労働省所管の家政婦とケア・ワーカーとの並存問題でした。


「介護業務から家政婦等を締め出し、民営事業運営を根底から脅かす」というのが家政婦団体側からの批判でした。


また、労働省は家政婦に対する技能検定を計画していることもあって


「家政婦と介護福祉士という同じような業務に国の関与する2つの資格ができるのでは、国民が納得しない」


・・・と主張したといいます。

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         <pubDate>Thu, 28 Apr 2011 16:34:50 +0900</pubDate>
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         <title>社会福祉について考える</title>
         <description>社会福祉士でない者が社会福祉士の名称をまた介護福祉士でない者が介護福祉士の名称を用いることは禁止されることになりました(名称独占)。


さらに両者については、信用失墜行為を禁止し、守秘義務を課すとともに、その義務を行うに当たっては医療関係者との連携を保たなければならないことになっています(職業倫理)。


福祉に携わる人々の資格にかかわる「士」法の制度は福祉関係者にとっては30年来の悲願であったといわれています。


介護や看護の現場では、例えば看護婦・保健婦と福祉サービスの従事者(ホーム・ヘルパーや寮母等)とが連携をとりながら仕事をしていることが大部分です。


いわゆるヘルスの分野では鋤章社会福祉における市町村と住民看護婦にしても保健婦にしてもいろいろ資格がありますが、社会福祉の分野で働いている人びとには公的な資格制度はなかったのです(保母も法律上の資格でありません)。


職業的プライドからいっても、やはり資格がほしいと根強い要望が関係者の間にあったことは理解しやすいでしょう。


すでに、シルバーサービスの現場で、介護、入浴、給食等で、多くの人びとが活躍していますし、有料老人ホームなど民間福祉サービスも伸びを示しています。


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         <pubDate>Mon, 28 Mar 2011 16:33:12 +0900</pubDate>
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